前身为1899年(明治32年)成立的“东京府立第二高等女子学校”。成立当初到1945年(昭和20年),校长、教职员由东京府立女子师范大学(现东京学芸大学)人员兼任,学校活动也共同实施。目前学校也与学艺大学附属幼儿园竹早园区、附属竹早小学、附属竹早中学相邻。战前为著名女子高等学校,与「浅草の第一(白鴎)、小石川の第二(竹早)、麻布の第三(駒場)」并列前三。
学校教育:
被指定为东京都的升学指导推进学校,入学考试采用东京都政府统一命题。1年级学生分为6个班级进行小班授课,接受归国子女。二年级开始可以自由选考第二外语(法语、德语)等。周六开放的“竹早学院”中,开放补习等学习支援。
学校行事
体育祭 - 学校に校庭が無いため、小石川グラウンドを借りて行う。全学年を縦割りにした団(例:A団なら、各学年のA組)で行うパフォーマンスが恒例。な
お2013年度より内容を改変させ、「体育的行事」と称するようになった。しかし、2014年度からもとの名称(「体育祭」)に戻している。竹早祭 - 前夜祭の「竹の子祭」(生徒・保護者のみ参加可)では、 主に3年生による演劇が行われる。本祭は竹早祭実行委員会から選ばれる執行部(執行部自体は4月より活動をし、体育祭終了後から本格的な準備を始める。)を中心に、生徒が自主的に取り組んでいる。「竹夕祭」と呼ばれる後夜祭では、有志による出しもの(ダンス・ライブなど)が行われている。スローガンは「竹・竹の子」をもじったものが多い。
球技大会 - 各学年毎にHR委員(いわゆる学級委員)が中心となり行われている。ユニフォームは体育祭で使った衣装(ただし、体育祭でG組と組んだ組は竹早祭のものを使用する)。2013年度までは男子:バスケットボール・バレーボール・サッカー、女子:バスケットボール・バレーボール・卓球だったが、014年度はアリーナ(体育館)の改修工事によりバスケットボール・バレーボールの種目が変更になる模様。
合唱コンクール - 3学期に中央委員会(生徒会)主催で行われる。以前は自由参加だったが、全1,2年生クラス参加の行事となった。
学校逸話:
本校の卒業生である小森陽一 は1969年、一年生でありながら生徒会長に選出され、この年の5月に明るみになった、学校ぐるみでのリベート事件の責任追及と学内改革の目的から全校ストを組織し、教師たちを土下座させた上で「生徒権宣言」を学校側に受諾させた。その内容は「授業の内容、教師の講義方針に関しては教師・生徒間の話し合いにより決定する」、「生徒に関する諸規則は生徒が定め、生徒が管理する」といったものであった。
創立100周年記念式典には、本校の卒業生である緒形拳が出席して歓声を浴びた。
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